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トランテアンのHP上にタナローンのことが書かれていないのに気づいて、皆様よくご存知なのに今さらとは思いますが...
リバティ社について書かれている本にもいつからタナローンが発売されたのかはっきりしませんが、1920年代の終わりにはリバティ社を支えるほどの売り上げがあったそうです。
絹のような綿を探し当てた地はアフリカのスーダン。それにちなんでスーダンにあるタナ湖から名前をとってタナローン。現在はグーグルマップによるとエチオピア内にタナ湖はあります。想像以上の大きな湖です。
昔から、小花柄が多いのは綿素材ということで優雅さを保ちつつも夏の着用に耐えるよう汗ジミ、小じわを目立たせないためだったとか。
1920年~30年ということは、クリスティの「名探偵ポワロ」の時代です。ホームズ、ポワロ、ミスマープル、それぞれの時代のリバティを見つけるのが楽しみでDVDを見ています。
そうそう、今回はリバティプリントとモリスの第6回でしたね。
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今日はローデン(1884年)
「いちご泥棒」よりたった1年後、これだけの繊細なデザインをインディゴ抜染、ブロック捺染でプリントできるまでになっています。
1番最初に染められたLoddenの色使いを見ると、「いちご泥棒」の色と類似しています。
最初のLoddenもインディゴ抜染ですが、青色をほとんど漂白して白さを際立たせるという気の遠くなる仕事を、常に誰かが目を光らせ職人につきっきりで仕上げたようです。
当時、中期ヴィクトリアン朝の流行色は、プラム、えび茶、マゼンタ(紫紅)オリーブグリーン、錆色、コバルトブルー、ウルトラマリン、黒だったそうです。
モリスの染色手帳によると、赤ーあかね、青ーインディゴ、黄ー野生の木犀 樫の樹皮、茶ーくるみの根とくるみの殻、これらの組み合わせで色を作っていた為、似たような色使いになったのでしょうか?
1882年にウォンドル川のマートンアヴィに工場を移してから本格的に布プリントに着手、それ以前のコットンプリントは単色がほとんどです。
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世間的には「マートンアヴィ」は「大人のための大掛かりな幼稚園」と揶揄されていたようですが、彼自身はもともとテキスタイルのデザインと製造をはじめたのは、自分で用いる為の用途で仕事ではなく、最高の娯楽と考えていたようです。(純粋さと、お金持ちのボンボン気質ですね)
一般に、リバティがマートンに工場を持ったのはモリスの工場があったからだと言われていますが、それ以前にリバティプリントがマートンで染められていることを考えると、リバティを通してモリスが工場を作ったと考える方が順当かもしれません...と本に書いてありました。
よく比較されるモリスとリバティですが、良い物を作るという点では意外に気が合ってテキスタイルの話に花がさいていたのかもしれません。
今年の秋冬柄にローデンが発売されました。数年に一回、でてきているのでリバティのデザインルームはどんな想いでローデンを選んでいるのでしょうか...
画像1 「マートン・アヴィの池」モリス商会の工房を示す水彩画。
画像2 工場内の様子。今まさにローデンがプリントされつつあります。
WILLIAM MORRIS ELIZABETH WILHIDE著より
画像3 左 最初に染められたローデンの配色
右 07年秋冬柄
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